わがままを聞いてもらった
朝明茶屋キャンプ場を管理する奥井さんに、「炭焼き、手伝わせてください」とお願いしました。素人で何もできない、むしろ足手まといになるかもしれないのに、奥井さんは笑って受け入れてくれました。おかげで、普通の登山者や旅行者にはなかなか見られない現場に入ることができました。
朝明茶屋キャンプ場は、鈴鹿山脈の登山口として有名な朝明渓谷に位置しています。釈迦ヶ岳や根の平峠へのアクセス拠点でもあり、年間を通じて登山者が訪れる場所です。そのキャンプ場の一角に、本物の炭焼き窯があります。

炭焼きが盛んだった鈴鹿の山
奥井さんと作業しながら、昔の話をいろいろ聞かせていただきました。
かつて、この鈴鹿山脈では炭焼きがとても盛んでした。山の中には炭焼き師が住み込み、家族や数人で焼いていたといいます。炭焼きをしていたじいさんたちが残した言葉に、「続けて焼くのが一番ロスが少ない」というものがあるそうです。窯が冷めると次の加熱に時間がかかります。熱が残っているうちに次の木を入れ続けるのが、昔から続く知恵です。
木を山から切り出すために、当時はトロッコのレールが引かれ、スーパーカブのエンジンを改造したウィンチで丸太を引き上げていたとも聞きました。白滝の方にはまだレールの残骸が残っているそうです。
今、私たちが歩いている鈴鹿の登山道の多くは、もともと山仕事のための道です。炭焼き師たちが行き来し、木を運び、窯に通うために切り開かれた道が、エネルギー革命を経て「登山道」として生き残っています。
山から出た木は、炭だけに使われていたわけではありませんでした。パルプの原料としても大量に伐採されていたそうです。製紙業が盛んだった時代、山の木は紙の材料としても求められていました。炭焼きとパルプ、二つの需要が重なっていた時代、山には常に人が入り、道が維持されていました。
石炭・石油が普及し始めた頃から、木炭の需要は急激に落ちました。山に人が入らなくなり、道が使われなくなりました。今の里山の荒れ方や、登山道の整備不足には、こういった歴史的な背景があるのかもしれません。
40〜60年サイクルが消えた
炭焼きに使う木は、主にカシ(樫)です。材が非常に硬くて密度が高く、火持ちが良い高品質な炭になります。備長炭の最高級品「白炭」もウバメガシという樫の仲間が原料で、鈴鹿山脈周辺で昔から炭焼きが盛んだったのも、良質なカシが育つ環境だったからだと思われます。
カシには、伐採後に切り株から新芽がよく出る「萌芽更新」という性質もあります。ひこばえと呼ばれるその新芽から、また木が育ちます。同じ山を繰り返し使えるこの特性が、炭焼きのサイクルと相性が良かったのでしょう。炭焼きに使えるサイズになるまでには40〜60年かかるといわれており、その周期で伐採と再生が繰り返されていました。
そのサイクルの中で、里山の生態系は保たれていました。
ところが炭焼きが廃れると、このサイクルが止まりました。カシの木は伐られなくなり、山はどんどん暗くなっていきます。光が届かなくなった林床では、かつて育っていた植物が消えていきます。「自然に戻る」のではなく、人の手が入らなくなることで、別の何かに変化していく——そういうことなのかもしれません。
炭焼きは、ただ燃料を作っていたのではありませんでした。山を管理するという役割も、同時に担っていたのです。
実際に山を歩いていると、炭焼き窯の跡地の周辺にはひこばえが多く見られます。かつて木が伐られ、萌芽更新が始まった痕跡が、今もそこに残っています。

木が炭に変わるメカニズム
実際に窯の前に立つと、炭焼きの科学的なおもしろさがよくわかります。
生木の重さの大半は水分です。炭焼きとは、その水分や揮発成分を熱によって飛ばし、炭素を残す工程です。奥井さんが「木の1割しか炭にならない」と言っていたのが印象的でした。
窯に火が入ると、最初は白い煙が大量に出ます。これは水蒸気です。木の中の水分が加熱されて蒸発しています。その後、煙の色が変わり、温度が安定してきます。煙突から出る煙がほぼ透明になったら、炭化がほぼ完了している合図です。
窯の中の温度管理は繊細です。この日は熱電対(温度センサー)の調子がいまいちで、奥井さんはずっと気にされていました。長年の使用でコールタールが付着し、センサーが実際よりも低い温度を示してしまうそうです。「前に掃除した後はよく当たった」と言っていました。温度計一本にも、積み重ねた経験と知恵が詰まっています。
炭を窯から出すタイミングも重要です。完全に冷めてから出すのが理想ですが、注文が入っていたり天気が変わりそうだったりすると、ある程度の温度で出さざるを得ないこともあります。炭はたとえ表面が黒くても、内部に熱が残っていれば酸素に触れた途端に燃え出します。「海岸でバーベキューの炭を砂に埋めて子供が火傷した」という話を奥井さんがしてくれました。消えて見えても、消えていない——それが炭の怖さです。
体を使って、話を聞いた
理屈はわかりました。でも実際の作業は、想像以上に体を使います。
窯に入れる木は、太いものも細いものも、バランスよく組み合わせながら詰めていきます。パズルのようで、ただ押し込めばいいわけではありません。隙間の作り方で火の回り方が変わります。
窯から炭を出す作業は、もっと重いです。焼き上がった炭はカゴに入れて運びます。カゴが重いときは、木じり(根元に近い硬い部分)が多かったり、焼けきれていない炭が混じっているサインです。ただし、軽すぎるのも問題で、焼きすぎてボロボロに崩れた炭になっています。ちょうどいい重さの中に、形のしっかりした炭が残っている——そのバランスが理想だと知りました。
作業中、奥井さんはずっと話しかけてくれました。昔の山仕事の話、地元の土の話、この窯を作った経緯。重いカゴを運びながら、こんなに豊かな時間があるとは思っていませんでした。

炭焼きを体験して残ったもの
半日の作業を終えて思ったのは、炭焼きは「何かを作る」というよりも「何かを整える」仕事だという感覚です。
木を炭に変えながら、山を整えます。40〜60年のサイクルで森を管理します。その連鎖が、今は途切れています。
エネルギーの移り変わりは避けられません。石炭も、石油も、今は再生可能エネルギーへと変わりつつあります。でも、エネルギーが変わるたびに、どこかで誰かが山に入らなくなり、誰かの生業が消えていきます。
炭焼きの煙が上がる窯の前で、奥井さんが「良い天気でよかったな」と言いました。窯の中には次の木が詰まっていて、また4〜5日後には炭になります。
今日もこの窯は、静かに燃えているんだろうと思います。
朝明茶屋キャンプ場は三重県菰野町の朝明渓谷にあります。釈迦ヶ岳・根の平峠など鈴鹿山脈北部の登山拠点として利用されています。
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