去年に引き続き、今年も三重県立津高校の探究学習に社会人メンターとして参加しています。今年は4月からのスタートです。
去年の記事では、高校生の壁打ち係として過ごした7ヶ月について書きました。2年目の今年は、同じ活動のはずなのに、見えている景色がだいぶ違います。
今年は「立ち上げ期」からの伴走
去年の参加は10月からでした。生徒たちのテーマはすでに固まっていて、調査や検証が走り出した後。私の役割は、進んでいる探究に外から問いを投げることでした。
今年は、テーマがまだ何も決まっていない時期からの伴走です。
これが、想像以上に別物でした。
「何を探究したいのか、自分でもよくわからない」という一番モヤモヤした時期の生徒たちと向き合うことになります。問いを投げても、返ってくるのは「うーん……」という唸り声だったりします。でも、このモヤモヤこそが探究の入口なのかもしれません。答えを急がせず、考え込む時間にじっくり付き合う。そういう関わり方が求められている気がしました。
授業の形式も変わりました。去年までの100分から、今年は50分×毎週に。会う頻度が上がったぶん、先週の続きから話を始められます。「あれからどうなった?」が使えるのは、毎週会えるからこそです。
生徒たちのテーマが面白い
テーマが固まっていく過程に立ち会えるのが、今年の醍醐味です。
詳しい中身は研究発表までのお楽しみにしておきますが、切り口は実にさまざまです。日常の中の「集中」を実験で確かめようとするチーム。昔からの言い伝えを大真面目に実証しようとするチーム。部活動をデータで分析するチーム。どれも、大人が思いつかない角度から問いが立っています。
今年らしいなと感じたのは、AIをテーマに選ぶチームがいくつも出てきたことです。高校生たちも、AIというこの時代の大きな変化点に何かを感じ取っているのだと思います。私自身、AIのセミナーや講座をやっている身なので、ここは具体的に相談に乗ることができました。自分の仕事と生徒の探究がつながる場面があるのは、メンター冥利に尽きます。
動物や自然に目を向けるチームもいます。その中のひとつは、調べたいテーマに先行研究があると知ったとき、そこで止まりませんでした。先行研究の中身を読み込んで、「ここはまだわかっていないんじゃないか」という穴を探しに行ったのです。すでにある答えを、あえて疑ってみる。なかなか出てこない視点で、唸らされました。
もうひとつ、地味だけど大事だと感じているのが「どうやって調べるか」を詰める時間です。「最終的に何を明らかにしたい?」「そのデータ、どうやって取る?」と問いを重ねていくと、生徒たちの口から具体的な進め方が出てきます。理想の計画が現実の壁にぶつかったとき、一緒に代替案を考える。この泥臭い工程こそ、探究の背骨なのだと思っています。
知識を教える大人より、楽しそうな大人
メンターとして何ができるかを考えていくと、行き着く先はいつも同じところです。
知りたいことがあれば、AIが一瞬で答えてくれる時代です。この先、教育に関わる大人は「知識を与える立場」ではなくなっていくのかもしれません。では何ができるのか。生徒が自分で「これ、なんやろう?」と引っかかったところに楔を打つこと。そして、調べ方そのものを自分の頭で考える後押しをすること。それが、これからの大人の役割なんじゃないかと思っています。
探究学習には「この活動が社会にどう役立つか」という出口があります。そこまでつなげられたら理想なのかもしれません。でも、高校生の今はまだそこへ行かなくていい、というのが私の正直な感覚です。
まず、自分の興味を満たすこと。「自分が楽しいからやる」という原動力――エンジンみたいなものの回転を、とにかく上げていくこと。役に立つかどうかは、エンジンが回りきった先で考えればいい。今はそういう活動のサポートに徹するつもりです。
そして、そのエンジンに火をつけるために必要なのは、たぶん理屈ではありません。楽しそうにしている大人の背中を見せること。結局、そこに戻ってくる気がします。
唸る時間に、一緒にいる
6月には研究計画発表会がありました。1枚のスライドにまとめた研究計画を、ブース形式で3年生に向けて発表する場です。モヤモヤしていたテーマたちが、それぞれ「計画」の形になって並んでいる光景は、4月からの伴走を思うとなかなか感慨深いものがありました。
夏休み前に私がメンターとして教室に入るのは、あと1回。ここから生徒たちは、調査や実験の本番に入っていきます。夏休みを挟んで、探究はいよいよ「自分の足で確かめる」フェーズへ。
去年の記事で「親でも先生でもない第三の大人でありたい」と書きました。その気持ちは変わっていません。今年はそこに、もうひとつ加わりました。
答えが出ない時間に、一緒に唸っていられる大人でいること。
モヤモヤは、飛ばすものではなくて、味わうものなのかもしれません。生徒たちの唸り声の隣で、今年も問いを投げ続けます。
この記事について相談・依頼がある方はお気軽に。